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ゆるゆり♪♪ 第11話 時をかけるあかり

見たばかりのアニメの感想を書く、もともとこういうブログだったなあ、と…あ、それなりに長い上にネタバレありありなので例によって省略ですよ


まず簡単にあらすじを説明すると、あかりがタイムマシンでタイムスリップする、というオリジナル回でした。すごい発想だなとしか言いようがない(
存在感を出すために過去を改変しようとするも、ごらく部メンバーとの思い出が消えてしまうことに気づいて現在に戻り、みんなとの繋がりを再認識する、と
まあ、これだけ見たら「イイハナシダナー」で終わるんですが、全部京子の考えた物語だった、というオチでした。そこひねるのかよwみたいな…


…さて、普段はこれで終わるんですが、遊びに来た友人と話してたら盛り上がったのでもう少し続けてみようと思います。
違和感があったのは、あかりはそもそも、過去に行って痛い目を見ないと存在感>みんなとの思い出 に気づかないような子ではないのでは?ということです
ソフトクリームを地面に落としてしまってもなお、アリの気持ちを考えられるような優しい子なわけで、もう天使ですよね…ってのは若干気持ち悪いな(
もちろん設定上、京子があかりをそういう子だと思っていたことになるので説明はつくんですが、京子がそう思っていたと描写で明示してほしくなかったな、と…


逆によかったと思えたのは、あかりの姉、あかねの描写ですね。今回は過去に来て居場所がなくなったあかりを自室に匿う、という重要な役割を果たすわけですが
それだけでなく、もっと存在感のある人間になりたいというあかりに対して「お姉ちゃんは、どんなあかりでも大好きよ」と言うシーンがあるのです
今までアニメでは妹を想うあまりの異常性がクローズアップされ、一種のラスボス扱いになっていたあかねですが、実際は妹を本当に大切に想っているのだ、と
暖かく描写されていたのはすごく印象的でした。…当然、詳細は省きますが異常に偏愛していると分かるシーンもあり、楽しめたことは言うまでもありませんw


しかし、ここでよく考えると、これは京子の創作だった、という設定が上で述べたよかった点と整合しないな、という新たな疑問が発生するわけです
京子が赤座姉妹の関係をこれほどまでに知っているわけがないのでは?ということですね。どうしても、あたかも神視点で描いているように見える、と…
まあ、たまたま想像で描いたら核心に迫っていたということなのでしょうし、そう見るのが普通というか深読みしすぎだろ、と言われればその通りなのですが
それでも、あかりをいじりたいという動機が先に立った結果、不自然な構成になってしまっているのでは、と邪推をしてしまう…気にしすぎですかね


個人的には、原作に沿うだけではアニメ化した意味がないと思っていますし、どんどん崩していって新しいものを見たい、という立場なのですが
それでもキャラものでは特に、積み上げてきたキャラの描写の積み重ねを、例え創作オチでも裏切ってほしくないなあ、と思ってしまうんですよね
…と、久しぶりにきもちわるい長文感想でした。ごちゃごちゃ書いてますが、自分の根本にあるのはシンプルに「あかりちゃんマジ天使」という気持ちだけです(