適当な日常を綴る’

万年五月病患者が惰性で書き続けるブログ

『やがて君になる』と分人主義

Kindleで購入して、東京帰りの新幹線で一気に読破しました。隣が舞浜帰りの女子2人なのに対し、iPadでひたすら漫画を読むキモオタク。コントラストが良く効いていますね。


以前、百合ものは共感ベースだとしっくりこないので苦手、という話をブログに書いたのですが、この作品についても、当時(数年前)に読んだ時は同じ感想を抱いたのを覚えています。
燈子が侑に恋愛感情を抱く、という導入がどうしても理解できず、モヤモヤしたままになっていたんですよね。ただ周りの評判が頗る良いので、一度続きを読んで、しっかりと自分の中で
消化しないと、とは思っていました。若干話が逸れますが、こういう時に「世間、知人の間での評判」って大事ですよね。人気だから見る、という姿勢には懐疑的なのですが、少なくとも
人気であるということは、それだけの理由が何かあるはず、というのが自分の考え方です。知らない作品が複数あって、何を選ぶか迷った時は評判で選ぶとそこまで外れないんですよね。


…で、改めて1巻から読み直し、最新6巻まで読み終わりました。通して読むと印象が変わりますね。単に女の子同士の恋愛だけを描く、という内容に止まらず、むしろガールズラブを描くために
周りのキャラクターが効果的に配置されている。読み進めていくうちにその緻密さと巧みさに舌を巻きました。描写が丁寧だからこそ、読者にもキャラクターの心の機微が伝わりやすい。
6巻はキツい展開でしたけど、最後のすれ違いはまだ修復可能なように見えるし、ここから一悶着あるにせよ、物語の着地点は決めて描いてると思うので、あと数巻で完結なのかな?


さて、百合がやや苦手な自分がこの作品を読んでいてガールズラブ要素以外に面白いと思ったことを書いていきたいと思います。ヒロインである七海燈子というキャラクターについてです。
燈子が侑のことを好きな理由は、自分のことを特別視しないから。そして、燈子は夭折した姉のようにならなくては、と努力し、完璧超人を「演じる」ようになった、という設定。
姉が亡くなる前の「素の自分」のことを燈子は嫌っていて、かつて自分が持っていた姉に対するイメージの通りになりたいと思っている。アイデンティティの模索から来る苦悩ですね。


このように「周囲が期待するキャラを演じているうちに自分が何なのかわからずに悩む」という設定、『パワプロクンポケット10』の神条紫杏とか、『アマガミ』の絢辻詞を思い出しました。
「果たしてどれが“本当の自分”なのか?」というのは、創作物に限らず、普遍的な悩みではないでしょうか。職場での自分とネット上の自分のキャラが違う、なんてのは珍しくないですし。


そのような悩みに対する新しいパラダイムとして自分が気に入っているのが、小説家・ 平野啓一郎が提唱している「分人主義」なんですよね。平野さん、知らなかったけど京大法学部卒らしい。

私とは何か――「個人」から「分人」へ (講談社現代新書)

私とは何か――「個人」から「分人」へ (講談社現代新書)

オススメなので読んでほしいんですけど、簡単に言えば、家での自分、職場での自分、友人といる時の自分、ネット上での自分…と様々なキャラがある「自分」はそれぞれに全て「分人*1」だ、
という主張なんですよね。そして、ここが重要なんですけど、いくつもある「自分」は全て「本当の自分」であり、本当の自分⇔ウソの自分、という対立構造ではない、という。
ただそれぞれの比重が違うだけ、という主張です。例えば付き合いが長い友人との間に築かれた「自分」の「分人」は「自分」全体のなかで大きなウェイトを占めている、という考え方。


さて、『やがて君になる』に立ち返って考えてみると、燈子は1人でいる時の「自分」は嫌いで、学校で皆に慕われている時の「自分」が好き。しかし姉をよく知る人物から、当時の姉は
燈子が思っているような完璧超人ではなかったし、今の燈子とは似ていない、と言われて悩んでしまう。一方、侑と沙弥香は自然体の燈子が好き。なんとも複雑ですね。


ただ、劇を演じていく中で、燈子は今まで持っていた姉のようなイメージに近い「自分」への呪縛から解放されますよね。いずれかの「自分」に統一しなくてはならない、という強迫観念から
解き放たれる。劇の最後の「私は私になれるから」というセリフ、燈子の境遇に寄り添っていて、劇として落とし込んだ作者の構成力には改めてすごいな、と思わされました。
燈子は様々ある「自分」のうちどれかを選ぶのではなく、どの「自分」も肯定できるようになったことで、殻が破れた。分人主義の採用による自己肯定の促進と親和性が高い、と感じました。


また平野は、コミュニケーションが成功すると嬉しいので、他の人との間には見られないような「分人」を築けたと感じると「自分しか知らない側面を見せてくれた」という嬉しさから
特別な存在だと感じるようになる、という主張をしていて、こっちは侑や沙弥香の感情と親和性が高い。侑が一緒にテスト勉強している時に「選ばれるのが嬉しくないわけじゃない」とか
体育倉庫で「見返りのいらない好意を与えられること」を心地よい、と感じているところが分かりやすいのですが、侑にとって燈子との間に築かれる関係、「分人」は少しずつ強固に
なっていく。沙弥香についても、燈子がプレッシャーに耐えて求められる姿を演じているということを知りながら、燈子が望むなら、と敢えてその歪さに異を唱えることはしない。
2人とも、燈子に対する理解、愛は共通していながらも、結果的に燈子を変えさせようとするか、しないかは逆になってしまった。ここも自分は面白いポイントだと思いました。


ガールズラブを描いていながらも、その実、アイデンティティの同定への苦悩という、普遍的な悩みをもう1つのテーマに描いているところが幅広い層に共感を呼んでいるのかもしれませんね。
沙弥香の過去を描いたノベライズも出るということなので、合わせて読もうかな?改めて読んでみたら懐の広い漫画だったので、これからも色々な作品に触れていきたいと改めて感じました。

*1:「個人(individual)」に対する言葉です