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ソクラテスの弁明

ソクラテスの弁明 (光文社古典新訳文庫)

ソクラテスの弁明 (光文社古典新訳文庫)

短かったので移動時間にすぐ読めそうだな、と思って買いました。思想系ってあんまり興味なかったんですが読んでみると結構面白いですね。
ソクラテスアテネで裁判にかけられ、死刑になるまでの様子が対話形式で書かれている…というのは今更ここに書くまでもないことか(
まず自分が若者を扇動している、という無実の罪で告発されていることについて反論し、続いて神を冒涜している、という告発についても反論する。
相手に喋らせてそこから矛盾を導いていくという、頭の良い対抗のしかただと思いました。やられる方はたまったもんじゃないと思いますけどね。


この訳者は所謂「無知の知」という訳語の不正確さについて言及していて、そこが印象に残りました。ソクラテスによれば、「知っている」ということは
全てを認識し尽くしている、ということなので、実質的には神しか「知っている」の域には達せず、故に人間は皆「無知」である。そして、そうであるならば
「無知の“知”」という表現は「無知」について全て「知っている」ことになってしまうため、神の領域であり、せいぜい「無知だと感じている」くらいだ、と。


ソクラテスは真実を偽ること、魂より物質欲を優先することが愚かしいことであり、神に背くことだ、としていたわけですが、さて、現代社会において
これを読んで何かしら活かそう、と考えると*1なかなか難しいですよね。実際、社会生活を営む上では他人とのすり合わせが不可欠になるわけですから
両極端な考え方さえしなければ、自分の根本は曲げないようにしよう、くらいの噛み砕きかたになるのが自然なんでしょうか。もう一方のテーマである
「無知を自覚すること」については割と現代とも親和性が高いと思っていて、無知を自覚するからこそ色々な知識を得ようとする、飽くなき知識欲というものは
無くさないようにしていきたいですし、変な表現ですが、ハングリー精神を忘れないようにしていきたいですね。もっとアニメを見ていかないと(結局オタク)

*1:ソクラテスの考えからすればこういう発想自体が誤りなんでしょうけど