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明朗・潑溂・無邪気なブログ

響け!ユーフォニアム ★★★★★★★★★★


原作本編を読み終わってから、アニメをもう一度見直してみよう、とはずっと思ってたのですがなかなか時間が取れず。ようやく1期をもう1回見終えました。
自分はどちらかというと、色々な作品を数多く見たい、と思うタイプなので、余程気に入った作品でもない限り、全話見たあとにもう1回通して見る、ということは少ないんですよね。
好きな単話をピンポイントで見ることは結構あるんですけど。…そして、『ユーフォ』に関しては、その「余程」に分類される作品だった、ということになるのかな。


今まで惰性で楽器を続けていて、真剣に音楽に取り組む人の気持ちが理解できていなかった久美子が、実力不足からSoliの機会を掴み損ねたことで感じる悔しさ。例の、宇治橋を走る名シーン。
あのシーンが特に記憶に残ってたんですが、見直してみると、久美子が音楽に真剣に取り組むようになるまでが1クールを通して描かれていることに改めて気づきますね。
演奏する楽しさや、合奏が上手くできた時の感動。そういう、自分が働き始めてからめっきり遠ざかっていた感情を、まざまざと呼び起こしてくれた、素晴らしい作品だと思います。


そういえば、滝先生が来ただけで上手くなるとかリアリティがない、と感じる人もいるようですが、実体験から言って、顧問の良し悪しは本当に大きいので、逆にリアリティを感じたんですよね。
もちろん、それで数か月で全国大会、というのはいかにも物語なんですけど。それについては原作でも理由を付与してましたからね。許される類の「ウソ」なのかな、と。


少し話がズレますが、自分は、物語におけるリアリティは、現実=リアルであることとイコールではない、と思っています。実現可能性ばかり考えていたら、物語に触れる意味がないですから。
でも、実際は物語を見ていて「リアリティないなあ」とか、逆に「これはリアリティあるなあ」みたいな感想を抱くこと、いくらでもありますよね。では、その違いはどこから来るのか。

フィクションである以上、言ってみれば物語の中で起こることは全て「ウソ」なんですよね。そして、その嘘が作品世界のリアリティを損なう類のものか、そうでないものか。
言い換えれば、設定の中でも、作品において、許される「ウソ」ならリアリティは損なわないし、逆に、許されない「ウソ」ならリアリティがないと感じてしまう
そこの差がどこから来るのか、というと、結局は受け手の経験と、物語全体の整合性なのかな、と。特に今作のような部活小説では、経験に照らしてリアリティがあるかを判断しやすい。


若干トートロジー的表現になったので『ユーフォ』で具体的に書くと、吹奏楽経験者である自分は、「練習すれば上手くなる」「指導者の力量は演奏に如実に影響する」という経験を持っている。
だから「元々複数の実力者がいる部活に、優秀な指導者が来た」という設定であれば、急に上手くなったという描写にもリアリティを感じられるんですよね。


逆にもし、リアリティがない、という描写があるとすればどういうものか。例えば「初心者の主人公が、頑張って練習してトップクラスの奏者になる」とか、
あるいは「あまり練習熱心ではないが、天才的な才能で素晴らしい演奏をするキャラクターがいる」とか。音楽に限らないとは思いますが、必ずしも時間をかけたから上手くなるわけではない。

この作品を好きな理由の一つに、「努力」に関する描写が徹底している、というのがあります。決して、努力したから結果が出ました、という夢物語ではない。
ユーフォの努力観は「間違った努力をしても結果にはつながらない」「才能があって、かつ努力している人間には敵わない」「経験の差は簡単には埋まるものではない」とか。
ここに限って言えばとてもシビアにリアルに近い描写をしていて、だからこそ「リアリティがあるなあ」と感じるんですよね。自分も、身を持ってこれが真実だと知っているから。


そして実力主義と部内の和のどちらを優先するか、部活と受験のどちらを…とか、本当に当時考えていたようなことを思い出させてくれるような展開。吹奏楽部出身者に人気があるのも頷ける。
書いていて思いましたが、作中で発生するトラブルや練習の体験がリアルなら、結果が若干ご都合主義でも自分はリアリティを感じられるのかも、とも。結果が出ないと物語にならないしな…。


あと、今回見直していて新たに気になったのは葉月について。彼女は高校で吹奏楽を始め、チューバを担当する、という、当時の自分と同じ境遇*1だったので。
「基礎練習がつまらない」「チューバの何が面白いんだろう」と悩む葉月が、低音パートで合奏してみて面白さに気づく、というシーンを見ていて思ったんですが
「自分がチューバを面白いと思ったきっかけって何だったっけ?」という疑問が。自分のことなのに覚えてないんですよね。目立たないから楽でいいわ、とか思ってたような気も
いつの間にか好きになったのは間違いないので、きっかけとかは特になかったのかな?目立たないなりに、全体を支えているという感覚が好きだったのかも。まあ低音目立つ曲は好きでしたけど。


いつも通りのまとまりのない文章ですが、オリジナルシーンを追加し、「久美子の一代記」としてまとめた手腕は流石。キャラの言動の裏も今なら分かるし、発見があって面白かったです。

*1:自分はそれまでの音楽経験がありましたが