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劇団AUN 第25回公演『一尺四方の聖域』@CBGKシブゲキ!!

今年の舞台観劇も、数えてみると5回目。中島みゆきさんの夜会もあったから実質6回?うーん、急に行きだすようになってしまったな…。
さて、今日は飛行機で東京へ飛び、渋谷で劇団AUNさんの舞台を観てきました。渋谷駅が広すぎて地下で迷いかけたので割とギリギリでした。
前年度の「あかつきの湧昇流」のDVDを観ていて、幕末ものは知識不足もあって理解が難しいな、と思っていたところ、今回は戦後少し経ってからが舞台だと。
これなら理解できそう、と思ってちょっと安心しました。それこそ、夏に「ひめゆり」のミュージカルも観ましたし。

戦争末期、日ソ不可侵条約を破り突如日本領土に武力侵攻を仕掛けてきたソ連軍。
そのソ連軍に捕虜として捕らえられた旧帝国軍人達は戦後、労働力として強制的にシベリアに抑留され劣悪な環境の中で働かされていた。
実は、彼らの目的は日本人捕虜をスターリンが掲げる「赤化工作」の中「国を滅ぼすなら思想から」と共産主義転換させる事だった。
彼らはソ連の協力者として次々に日本に帰国。日本政府は「共産主義化」に危機感を強めていた。


舞台は昭和33年。
シベリアからの引き揚げ船で13年ぶりに祖国の土地を踏んだ抑留者達。彼らはシベリアから引き揚げの際、持ち物は疎か身分証さえ身に付けることを禁じられていた。
白瀬悟(溝端淳平)は祖国の地を踏んだ途端気を失ってしまう。


引揚げ援護局施設で目を覚ました白瀬は収容所(ラーゲリ)での記憶に悩まされる。そんな白瀬を看病する春田医師(大塚明夫)と局長岩本(吉田鋼太郎)、
白瀬の帰国を知って駆けつける幼馴染みの吉澤美和(黒沢ともよ)との邂逅。収容所での抑留者ノブ(橋本好弘)との記憶から発露する人間の尊厳。


そして満州通化事件に遭遇した帝国陸軍二等兵(原信一郎)との出会いは白瀬の運命を決定付けていた。錯綜する白瀬の記憶が人々の唄う歌によって徐々にほどかれていく。
高度成長期最中、戦後の引き揚げ船で帰国した男を巡る大正、昭和の歌曲にのせて送る音楽劇。


公式ツイッターのあらすじを引用。


前半と後半の2幕構成だったのですが、前半の引きで「え、どういうこと…?」ってなって、そのまま後半は一気に引き込まれていった感じ。
最終的には「赦し」の物語だったのかな、と。生き残るために何でもした軍人たちが、生き残って日本に帰国し、普通に生活していたり、
身分を偽っていたり。過去が明らかになっていくにつれて俳優の皆さんが感情を露わにするシーンは言葉にできないほどの説得力を感じました。


そして、今回良いなあと思ったのが歌の力。『故郷』を始め、聞き覚えのある唱歌が多くて懐かしかったです。
ストレートプレイでは尺に収まらないであろうメッセージでも、歌に乗せることで伝わることってあると思うんですよね。
戦争というテーマで『故郷』が流れると、木下版の映画『二十四の瞳』を思い出してしまって全然関係ないところで泣けてくるから困る。
一番印象的だったのは『月の沙漠』かな。もともと、自分にとってこの歌は、子供の頃に観たアニメ『ドラえもん』のトラウマ回、「地平線テープ*1」の挿入歌としてのイメージが強くて。
なんか不気味な曲、という印象がずっとあったんですけど、今回はとてもきれいな歌声で、心に染み渡りました。
あとは黒沢さんの『カチューシャの唄』も。上手かったなあ。「当時はこの歌詞の意味も分からず」みたいなセリフがあったから調べたけど、
こんな歌詞でも破廉恥だとか言われる時代だったんですね…。『コロッケの唄』はオリジナル曲かと思ってたけど普通に実在するコミックソングだった。


演技で言うと、なんと言っても溝端淳平さんに圧倒されました。涙と鼻水で顔がぐちゃぐちゃになりながら絞り出す言葉の重み。
そしてそれを受け止める黒沢さんもかな。「はい」の2文字にあれだけの感情を込められるものなのかと。
吉田鋼太郎さんの役も二面性があって、見ていて次どう来るかまるでわからないという意味で怖さを感じました。


最前列で見たからか、いつも以上に役者の一挙一動がダイレクトに感じられてとても良かった。貴重な経験をさせてもらいました。
次の観劇はあっても来年かな、と思いますが、とても楽しかったので、また機会を見て上京したいですね。

*1:テープを貼ると異次元空間が出現してそこで遊べるが、テープが切れてしまうと二度と元の世界に戻れなくなる、という話