適当な日常を綴る’

万年五月病患者が惰性で書き続けるブログ

Kanon(2006年京アニ版) ★★★★★★★★☆☆


昨日あんな記事を書いておきながら、ジャパニメーションの極致みたいな作品を観ているという。
オタクの基礎教養ではないですが、「泣きゲーの先駆け」と言われたこの作品に触れたことがなかったので、いつかは観たいな、と思っていて。このご時世で2日間家にいたので良い機会かなと。
2006年の秋当時は多分、週に10本も観ていたかどうかで、Kanonは観ていなかったんですよね。『コードギアス』『ネギま!?』『おとボク』とか好きでした。量産型オタクゆえ。


原作は1999年に発売された恋愛ADVなので、今観ると大分古さも感じますね。まず、いたる絵の違和感。かなりアレンジはされてますけど目がでかすぎる。中原杏先生の少女漫画かな?
そして、出てくるヒロインの頭のネジがみんな数本飛んでいる。「うぐぅ」「あぅーっ」「あははーっ」が口癖とか、無口でコミュニケーション取れないとか…。
どこかで「Kanonのヒロインは全員発達障害では?」みたいな主張を見たことありますけど、観終わった今となっては確かに、と思ってしまう( 相対的に名雪が常識人に見えるもんなあ。
変な口調も、テキストならまだしも実際に発音されているとまた印象変わりますしね。真琴とか、「あぅーっ」が口癖で幼児退行していくし…。


所謂、共通ルートっぽいところから、真琴ルート、舞ルート、栞ルートを経てあゆルートで〆、みたいな構成。名雪は全編に満遍なく絡んでくる感じ。
結構上手く再構成されていると思うんですけど、同時に、恋愛アドベンチャーゲームをアニメ化する際の難しさも現れているな、とも感じました。


つまり、ゲームでは特定のヒロインのルートに入ると、その子に特化していくのに対し、この構成だと、どうしても主人公が手当り次第にヒロインに手を出しているように見えてしまう。
作風上、各ヒロインのかなり深いところまで主人公が踏み込んでいくので、そこまで深い関係でもない子に入れ込めるのか…?という疑問を(特に中盤以降)感じましたね。
この問題点は、後年だと『ヨスガノソラ』とか『アマガミSS』みたいにヒロイン毎に完全分割したり、『ましろ色シンフォニー』みたいに、予想外の締め方をしたり、と解決法が出てますが。
真琴ルートに関しては、そこそこ尺もあったので説得力もそれなりにありましたが、特に舞、栞ルートに関しては消化不良感がありました。あゆは良かった。名雪は犠牲になったのだ…。


上手いなあ、と思ったのが、この作品の特徴である「奇跡」について。ヒロインが各々、不治の病だったり昏睡していたり、命に関わるような深刻な問題を抱えているのがポイントなのですが。
それを、各々のルートでは「奇跡」が起こることでハッピーエンドになる。でも、アニメのように一つに繋げてしまうと、どこに「奇跡」を持ってくるのか?ということになってしまう。
最終話で、栞が「大好きな人に笑っていてほしい」というのが願いで、そのためには周りの人も幸せでないといけない(から、全員助かった)と言うのは素直に舌を巻きましたね。
そういう理屈で、全員助かるハッピーエンドに持っていくのか…という。鍵作品の奇跡推し、正直あまり好きではないんですが、今作は収め方がテクニカルだったので納得させられた感じ。


サブヒロイン厨なので、アニメを見た中だとやっぱり名雪かなあ、と思うんですけど、あゆの「ボクのこと忘れないでください」からの「ボクのこと忘れてください」は強かったですね。
真琴の「春がきて…ずっと春だったらいいのに」とかもそうですけど、台詞に文学的センスのある作品だからこそ、話題作足り得たのかな、と。恋愛ゲーム原作アニメの中ではかなり好きな部類。
余命幾ばくもない設定なのに普通に出歩いてるやん、とか、色々ファンタジーやご都合設定は多いですけど、それはまあそういうものだから…と、受け入れられるのがキモオタクの素養なのかも。


そういえば、鍵作品特有の茶b…もとい、軽妙な会話シーン、なんか懐かしかったですね。
特に11話とか、ヤマカン演出回だったからだと思いますけど、北川との掛け合いが謎のシュールさで笑いました。ヤマカンっぽさが一番わかりやすく出るのって、こういう日常シーンなのかも。