適当な日常を綴る’

明朗・潑溂・無邪気なブログ

イエスタデイをうたって ―「森ノ目榀子」という"毒”の魅力と、「側にいる」ということ―



アニメが面白かったので、原作も読むことに。18年で11巻ってヤバいですね。漫画界の秋山瑞人先生か?…いや、完結してるだけマシか。少年誌でもずっと休載してる漫画家もいるしな…。
11巻を1クールに再構成している都合上、かなりの登場人物がバッサリと存在自体をカットされているのに、物語のオチが漫画とアニメでほぼ変わっていない、という点が面白い。
3歩進んで2歩下がるならまだ良い方で、この作品では10歩進んだら9歩半くらいは下がって、それを繰り返す。結果として、物語の冒頭と最後で関係性がほぼ変わっていない、という。
いつまでグダグダやってるんだ…と思いつつ、この煮えきらなさがあるからこそ、「愛とはなんぞや?」というテーマが効果的に浮かび上がるので、結果的には必要な長さなのかも、と思ったり。


さて、今作のストーリーの中心人物であり、ある意味で物語の「癌」であるとも言える、森ノ目榀子というキャラクター。
今作は、榀子が態度をはっきりさせないのが延々と続く様々なこじれの元凶になっていて、所謂キーパーソン的存在なのですが、とても面白いキャラクターだと思いました。


大学の同級生である主人公・リクオからの告白を「友達の関係でいたい」と断るも、度々リクオに手料理を持って行ったり、テレビの配線を頼んだり、はたまた居候するチカに嫉妬したり。
思わず「それはないでしょう!」と言いたくなる行動を繰り返す榀子ですが、タチの悪いことに悪気がない。周囲を振り回していることに時に罪悪感を覚えつつ、また曖昧な態度を取り続ける。


やはり「悪気がない」という所が1つのポイントで、これがなかったら深みのない嫌な奴、で終わってしまったと思うんですよね。かつての想い人である幼馴染が忘れられない、という事情。
そしてそれと同じくらいめんどくさい事情であるところの、想い人の弟・早川浪。しがらみがあまりにも強大であるがゆえに、一歩踏み出すことが出来なくなっている哀れなキャラクター。
うっすらと罪悪感を覚えながらも、関係が壊れることを恐れ、なあなあでリクオを心の安全地帯にしてしまう人間臭さがとても魅力的だと感じました。振り回された晴は可哀想ですけど。


少し話が逸れますが、思わせぶりな態度で主人公を振り回すヒロイン、というモチーフだと、ロシアの作家・ツルゲーネフの『初恋』に登場するジナイーダを思い出しました。
自分に言い寄る男をとっかえひっかえする悪女・ジナイーダに恋をしてしまい、苦しむウラジーミル。しかしジナイーダが恋をしたのは、なんとウラジーミルの父親だった…。というお話。
父親が今際の際に残す「女の愛を恐れよ。この幸福を、この毒を恐れよ」という名言が有名ですが、森ノ目榀子も正に「毒」だし、無意識的なジナイーダでもある。なんか響きも似てる。
物語的には、一途に想い続けるハルより、無自覚で毒を振りまく榀子の方が面白いし、人間味があって好きなんですよね。「like」よりむしろ「interesting」の方が近いかもしれない。


さて、ざっくり「ハル派か、榀子派か」と言う問いを立てるとすれば、上記のような理由から自分は恐らく後者かな、と思うのですが、どうも(どうもじゃないが)少数派らしい。
これは自分が今作をどんな作品だと捉えていたか、に拠るところが大きくて。つまり「人を好きになれなくなった榀子に、リクオの一途な想いが届く」物語だと思っていたんですよね。
実際はそうではなく、『青い鳥』のようなお話。脱落したと思っていたハルの棚ぼた的(に見える)勝利。『いちご100%』の結論が東城ではなく、西野だった時のような気持ちになりました。
ハルには報われてほしいけど、榀子にも救いがあってほしい。だからハルの相手はリクオでなくても良いのでは、と。そう思っていたからこそ、最終巻で雨宮を諭すハルが格好良かった。


逆に、榀子は変わらないんだな、と思わされたのが最終巻。破局した後、リクオに「まだ友達でいてくれるよね?」と確認するシーン。「こいつ何も変わってねえな!」ってなってしまいました。
浪がいなくなったことで大切さに気付き、浪との関係を考え直すラスト…とも取れるけど、根本が変わってない限り前途多難だし、また新たな被害者が生まれそう。


最後に印象に残ったセリフをいくつか挙げると、ハルの「そばに居てもいいなんてさ…それだけですごいコトなんだよ」でしょうか。
好きな人の側にいる」ために、今作の登場人物は様々な苦労をする。ハルはリクオのバイト先に足繁く通う。リクオも榀子を家まで送ったり、テレビの配線をセットしたり。
逆に榀子は幼馴染を亡くしたが故に「側にいる」ことができず、それを引きずったまま。浪は榀子の側にいたいと思っているのに、当人から弟以上に意識されずに苦しむ。
上記のハルのセリフと呼応する、浪の友人・克美のセリフ「でも…なんかわかったよ。”つきあう”ってコトの意味が 好きな人の傍に、いつもいる事を許されるってコトなんだ
からも分かるように、今作に通底するテーマは「付き合うとは、好きな人の側にずっといられること」なのではないかと。つまり、これが「愛とはなんぞや?」に対するアンサー。
だからこそ、最終巻で、まるでパズルのピースが埋まっていくように、キャラクター達が次々に「居場所」を見つけていくのは、若干ご都合主義的なきらいはあるにしろ感動的でしたね。


アニメ版も、原作を再構成したスタッフの手腕と、声優の演技の上手さ、主題歌等々、ハイクオリティだったと思います。榀子の声も良いし。
1クールの恋愛ものだと、今まで観てきた中でもかなり上位かも。3ヶ月間、とても楽しめました。こういうのがあると、原作も読みたくなるんですよねー。