適当な日常を綴る’

明朗・潑溂・無邪気なブログ

アルジャーノンに花束を


借りた俺妹も読み終わったし、二時間近くの通学時間中に何か暇潰しができる本が欲しい→親の本棚にあったこの本、文字が大きいからすぐ読めそうだな
…という、なんとも単純な理由で手に取りました。もちろん知識としてこの本のタイトルやあらすじは知ってたんですが、実際に読むのは初めてでした


一応話のさわりだけ簡単に書いておくと、白痴の主人公、チャーリイが脳の手術を受けて天才へと変貌するのですが、その手術には欠陥があって
また知能が退行してしまう、という話です。なんか、世間では泣けるSFとして評価されているらしい…ですよ?自分は別に泣きませんでしたけど(
つまらなかったわけではなく、むしろとても面白かったんですが、この名作を「泣ける本」みたいな陳腐な語句に落とし込んでしまうのがもったいないということです
しいて言えば、感動したのは終盤、チャーリイが母と妹との再会を果たすシーンですね。すれ違いが生んだ埋まらない溝、行く手に立ち塞がる避けようのない知能退行…
白痴ゆえに周囲を理解できなかったチャーリイが、天才になり知能レベルが周囲とかみ合わずにまた孤立していく…泣けるかはともかく、悲しい話であることは確かですね
しかし、自分がこの小説で一番共感し、また骨子だと思ったことは悲劇どうこうではなく、チャーリイがニーマー教授と言い争った時のセリフです。以下引用します

「知能は人間に与えられた最高の資質のひとつですよ。しかし知識を求める心が、愛情を求める心を排除してしまうことがあまりに多いんです。これはごく最近ぼくがひとりで発見したんですがね。これをひとつの仮説として示しましょう。すなわち、愛情を与えたり受け入れたりする能力がなければ、知能というものは精神的道徳的な崩壊をもたらし、神経症ないしは精神病すらひきおこすものである。つまりですねえ、自己中心的な目的でそれ自体に吸収されて、それ自体に関与するだけの心、人間関係の排除へと向かう心というものは、暴力と苦痛にしかつながらないということ。」p393

序文で作者自らが書いているように、いくら知能が優れ、また教養を蓄えたところで、共感する心を育まなければ他者との間に障壁ができてしまうんですよね
そしてその優れた頭脳を活用したいと思うならば自ずと他者と関わりを持つ必要が生じるわけで、他者との間にできた障壁は楔となり、良好な人間関係を阻害する、と
相手を理解しようと努めることが肝要だ、という主張は、自分の価値観と非常に整合するもので、その点ではすごく気分よく読めた小説でした。蓋し名著ですね