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響け! ユーフォニアム 北宇治高校吹奏楽部へようこそ ー”俯瞰”の原作小説に対する”主観”のテレビアニメー

ゴールデンウィークに帰省した時の移動時間で読了。元々は映画を観た時に「久美子だけじゃなくて、他の生徒の物語も見てみたいなあ」という、作品自体への興味を持ったのがきっかけで
買ったわけなんですが、読み進めていくうちに原作とアニメの違いを発見するにつれ、アニメ版は原作をうまく料理しているんだな、ということに気づいたので文章として残しておこうかと。


確か舞台挨拶で誰かがこの作品のことを「二次元と三次元の間」であると仰っていて、その時はなるほど、くらいに流していたのですが、原作1巻を読み終わって感じるのは
「原作がよりリアルに近く、アニメはよりフィクションに近い」ということですね。アニメ化するにあたり捨象された要素がある一方、逆にアニメオリジナルの要素が思ったより多かった。


『誓いのフィナーレ』の感想で、当時「久美子視点で描いた」ことが特徴であると感じた、と書いていたのですが、正確に言うと、そもそも『リズと青い鳥』を除けば、アニメ版『ユーフォ』は
原作と比べ、かなり「久美子を主人公とした部活もの青春アニメ」として再構成されていたな、というのが今の印象です。原作の久美子はアニメ版以上に流されやすい。その流されやすい久美子と
流されやすい吹奏楽部の面々が、優秀な指導者の影響で、良い方向に「流され」て、金賞を獲得して関西大会に進出する。これが原作の一つの肝なのではないかと思います。


吹奏楽部、更には運動系の部活においても当てはまると思うのですが、高校生の部活動において「空気」というものはとても重要で、本気で大会での勝利や入賞を目指す「空気」があれば
概ね部員は必死に練習する(せざるを得ない)し、のんびり続ける「空気」であれば大部分の部員は真面目には練習しない。実際、北宇治高校吹奏楽部も、真面目に練習したい下級生と
あまり熱心でない上級生の間で対立が起こり、大量の退部者が出た…という過去を持ちながら、ひとたび滝先生という優秀な指導者が来て「空気」が変わると
それに順応して、去年のことはまるでなかったかのように必死で練習するようになる。ある種”不誠実”であるとも言える、この変わり身・自己矛盾に耐えられず退部を選択する葵先輩や
ダラダラと部活を続けていくつもりが、今年に入って急に部が真面目な「空気」になってしまって困惑している夏紀先輩(アニメとかなり違うキャラ設定であることに驚きました)など
高校生の吹奏楽部においてよくある問題点を、「俯瞰的」に描いているところが、読んでいてとても興味深いと思った点でした。このドライさは原作特有のものですね。


例えば個人戦があるような球技とは違い、吹奏楽部のコンクールは、基本的に部が一丸となって臨むという性質上、「Aさんは真剣に全国を目指すけど、Bさんはゆるく続ける」という
ことは難しいというのが特徴で、程度の差こそあれ「部員間の温度差」は避けて通れない問題なのではないかと思います。特に、高校3年生の夏休みを部活漬けで過ごすことになると
受験に悪影響が出るのではないか。たかだか高校生の部活動と、その後の人生を左右しかねない受験勉強のどちらが大切なのか…。自分自身、高校生の夏休みの想い出といえば
朝から蒸し暑い講堂で練習して午後から合奏、の繰り返しでしたし、焦りが当時全く無かったといえば嘘になるかもしれない。一方で、部活を続けながらものすごく成績優秀な人もいる。
受験に集中するために部活を辞めた葵先輩の「私の志望校、あすかの滑り止めやから」というセリフには、高校生の時に自分が感じていたことと親しいものが含まれていると感じました。


このように、原作小説では、吹奏楽部という部活が持っている、ある種の「めんどくさい」側面について(作者の実体験に基づいて)踏み込んで描かれていたのに対して、アニメ版では、それこそ
「2次元と3次元の間」ではないですが、「ユーフォを惰性で続けていた久美子が、「上手くなりたい!」「ユーフォ大好き」と自覚するに至る過程」をクローズアップして描いている。
この辺の描写、アニメでは結構衝撃だったんですが、原作を読んでいて「アニメオリジナルだったんだな…」と驚きました。走るシーンとか、原作に全くないとは思わなかった。


麗奈との絡みも大部分がオリジナルで、アニメ映えする美少女キャラの出番を増やした、という側面もあるでしょうけど、「久美子の物語」という”主観”に寄り添う改変要素だったんでしょうね。
久美子の姉の描写がかなり増えたのもそうですけど、様々な人との交流を通して、惰性で続けていたユーフォが好きになり、上手くなりたい、本気で全国を目指したい、と思うようになる。
原作小説ほどではないにしろ、アニメの久美子もかなり周りに流されてはいますが、原作はアニメの比ではない。「流される」というのが1つの原作のキーなので当たり前なんですけど。
それよりも「吹奏楽部あるある的な要素は残しつつ、ある程度主人公のキャラ付けを脱臭して王道部活青春ものにする」というのは、良いアニメ化だったのではないかと思います。


昔から「原作レ○プ」とかいう言葉がありますけど、個人的には「一言一句そのままアニメ化するなら原作でいい」という考えなので、このアニメ化は成功例だったのかな、と。
原作を読んだことで違う側面を見ることができましたし、良いメディアミックスってこういう作品のことなんでしょうね。2巻以降も時間のある時にまた読んでみたいと思います。