適当な日常を綴る’

明朗・潑溂・無邪気なブログ

西鶴一代女 ★★★★★★★★★☆

なんとなく毎日更新していたら気づけば30日連続になってました。多分これだけ長いこと続いたのは7年ぶりくらい。逆に言えば当時は毎日書いてたんだよなあ。暇人かよ。それはそう。
某プロブロガーと違って1円の利益も生まないので、今週いっぱいくらいで毎日更新は終わりにして不定期に戻ろうかな。でも今月割と暇なんですよね…。やることがないのも辛い。

西鶴一代女 [DVD]

西鶴一代女 [DVD]

主人公・お春の苛烈な人生遍歴が、お寺の仏像を見ているうちに思い出した、という回想の体で語られる一代記。モーパッサンの『女の一生』と設定は似ていますけど
ジャンヌと比較にならないほど壮絶な人生を送っていて、運命に翻弄されながらも生きる様子がありありと描かれていました。若い武士に見初められて宿に入ったら役人にバレて武士が死刑、
側室に迎え入れられるも子を生んだら用済み扱いされて追放、生活苦から身売りに出されて太夫になり、なんとかそこを出て女中になれたと思ったら妻に嫉妬されて追い出され…。


徹底して主人公には帰責されるような事情がないのに、行く先々で責められ、追われる。「身分の差もなく自由に恋愛がしたい」という主張は、江戸時代を舞台にした作品であることを考えると
相当前衛的だったのではないでしょうか。一方で、側室を探すシーンとか、髪を切られた仕返しをするシーンとか、コミカルな描写もそこそこあって、重すぎない(重いけど)作品だったかな、と。
特典映像に入ってた予告編を見る限り、英語では「LIFE OF OHARU」らしいけど、身も蓋もないというか情緒を感じなくて逆に笑ってしまう。いや、そういう話なのは間違いないんですけど…。


原作は言うまでもなく井原西鶴の『好色一代女』ですが、『西鶴一代女』と改題されたのは、「好色」の部分が映画の内容にそぐわないからなのかなあ、とか観終わった後に考えてました。
『好色一代女』の主人公である老女が、太夫として名を馳せたり、遊女を続けて転々としたり…と、タイトル通り「好色」の部分があるのに対して
今作のお春は、その美貌ゆえに様々な男性に言い寄られ、捨てられ、と翻弄されますが、進んで浮き名を流そうとはしていないんですよね。
あくまで、男側の都合に巻き込まれている、という描写が徹底されていて、それでも挫けずに生きる様子が描かれている。制作者の女性観が反映されているのかもしれません。


題名の話をもう1つすると「一代女」というのは辞書的には「自分一代だけで子供のない女」という意味らしいですが、今作のお春には殿様の側室をしている時に出来た子どもがいるんですよね。
ただ、下賤の身となった元側室が若様に会うのは許されない、と言われ、息子と会話すらできず、ただ遠くから眺めることしかできない。子どもがいないより辛い、ということなんでしょう。