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明朗・潑溂・無邪気なブログ

二十四の瞳 ★★★★★★★★☆☆


「この写真だけは見えるんじゃ。」


小学生の頃、祖母の家で眠っていた色褪せた角川文庫版の小説を貰って読み、いたく感動したのが懐かしい。映画版は同じく1954年公開の『七人の侍』と並ぶ人気作だったらしいですね。
小豆島に赴任してきた女教師・大石先生と、12人の子供たちとの20年近くに渡る交流を通じて、戦争の悲惨さを描いた…まあ有名なので今更か。青空文庫ですぐ読めるし読んでない人は読むべき。


浮雲』とは打って変わって、高峰秀子演じる大石先生はとても純粋で美しく見えました。戦争の荒波を経験して老いるところまで含めてとても良い演技で、まごうことなき代表作だな、と。
子役も、子供時代と青年時代で似た顔のキャストを募っていたというだけあって「これ成長後に撮ったの?」と思ってしまうほど似ている。笠智衆の先生とか、キャストが素晴らしかった。
出てくる小豆島の風景も美しく、小説を読んでいるだけでは伝わらない映像美を感じました。そして特徴的なのが劇伴。有名な唱歌を何度も流すんですよね。『七つの子』とか若干くどいくらい(
仰げば尊し』とか泣かせにきてるとしか思えないからズルい。『あわて床屋』は昔合唱コンクールで歌わされたなー、とか懐かしい気持ちになったり。そら文部省も推薦するわ。


先生が教え子を可愛がるあまりアカ扱いされたり、どんどん軍国主義に染まっていく様子だったり。そして、先生が戦死してしまったかつての教え子たちの墓参りをするシーンだったり…。
「戦争の悲惨さ」はこれ以上ないほどよく描写されていたんですが、何か自分は物足りなく感じてしまったんですよね。どうしてかというと、ちょっとキレイすぎるから、とでも言いましょうか。


自分が考える小説『二十四の瞳』の魅力は、1つはもちろん「反戦」だと思うんですよね。大石先生を主人公としているからこそ、可愛い教え子を失った辛さを通して反戦を描いている。
ただ、何故この作品が感動するのかというと、先生以上に、12人の子供たちに愛着が湧くからだと思うのです。決して純粋で綺麗な子たちではなく、意地悪も言うし、辛い家庭の事情もある。
戦争を生き延びたけど失明してしまった磯吉のことを、「いっそ死ねばよかったのに」と言うミサ子。子供たちの中にも貧富の格差、そして意識の差が厳然としてある、というシーンですが
原作にしかないんですよね。富士子の家が立ち行かなくなり、売り飛ばされて遊女になってしまった、とか、キツい描写も小説には結構多いんですけど、映画は若干カットされている。
冒頭に挙げた、最後に磯吉が集合写真を指差す感動のシーンも、原作の地の文でもっと泣かされるわけで、そこを改変したのもなー、とか思ってしまう。原作厨かよ。


もちろん、文庫本を映画化するにあたり、尺の都合もあるし、映像化に向くこと、向かないことというのはあるのも分かる。事実、映画単体で見ると不自然さはなかったですしね。
しかし、他にも修学旅行のお金をどうにか工面するところとか、貧乏な人々の生への執着、というものがリアルに描かれているからこそ、子供達を失った喪失感もまた
リアルに感じられますし、そこにこそ妙味があると思うので、ちょっと映画版は脱臭されていたかなあ、と。泣ける名作ですけど、原作のほうがもっと泣けるんだよな…。
メルカトル図法だと面積は等しくならないけど、モルワイデ図法だと角度は等しくならない、みたいな。クロースアップする対象によって変わるし、ここは仕方ないですかね。


そうそう、原作とは改変されていたけど感動したシーンは、最後に子供達が先生に自転車をプレゼントするところですね。あの自転車があるからこそ、冒頭で新任の先生が
青空の下颯爽と自転車を漕いで学校に向かうシーンと、ラストの、老いた先生が雨の中合羽を着て自転車で学校に向かうシーンが美しい対比構造になっている。
しばらくは『仰げば尊し』を聴いただけで目に涙が浮かびそうになってしまって困るなあ。…いや、よく考えたら日常生活で聴く機会とかないし、別に困らないか。