適当な日常を綴る’

明朗・潑溂・無邪気なブログ

ヤマカンと『薄暮』と、『魔法少女たち(仮)』と

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先日、ネットサーフィンをしていたら、こんな記事を見つけました。6月に公開された映画『薄暮』についてのインタビューでした。
製作についての諸々の事情が書かれていて興味深かったです。元は20分の尺だったところを、映画にしたいからという要請で30分足した、とか。

山本:「薄暮」をとおしてまずは「福島はきれいだな」と感じてもらいたい。
そして福島には今がある――僕らと同じ今の日常があるんだよということを分かってもらえれば、この作品としては十分なんです。
まずはそこを見てもらって、そのあと作品が面白いかつまらないかは、もうお好きにしてくださいと。そこだけですね。
とにかく福島に興味をもってもらうことが最大の目的で、そこだけは持ち帰ってくださいとトリウッドの舞台挨拶でも繰り返し話しています。


ここを読んでいて、監督の意図は少なくとも自分には正しく伝わっていたのかな、と嬉しくなりました。
一度も足を踏み入れたことすらない福島、いわきに、この作品を見て「行きたい」と思い、実際、夏休みを利用して所謂「聖地巡礼」をして、良い思い出になりました。
自分にとっては、それだけのインパクトのある作品だった。実際、これだけの年月が経ってもまだ在来線が通っていないとか、肌で感じたこともありましたし。


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さて、新作の『魔法少女たち(仮)』、いったいどんな作品になるのやら。楽しみ半分、不安半分、といったところです。

山本:いろいろな意味で「薄暮」とは180度違う作品ですね。優しい世界なんて一切存在しない世界観でやろうと思っています。
僕が今感じていることや考えていることを綺麗事や嘘偽りなく、ファンタジーとしてつくろうと思っていて、本来ファンタジーって現実と対峙するものですよね。SFもそうですけれど。
現実から一歩離れることで批判的精神をもち、現実を上書きしていくのは、ミヒャエル・エンデの作品も「ナウシカ」(※「風の谷のナウシカ」)もそうですよね。
今のファンタジーは現実逃避をして遊ぶだけの手段になっていると僕は思っているので、そこにあえて魔法少女というモチーフで描くファンタジーをぶつけようと。
今こそ本来ファンタジーがもっている機能を回復させなければと思っていて、自分のなかでの作品の強度はバッチリなので、「薄暮」以上に見る人に刺さる作品に絶対なるはずです。


個人的には「今のファンタジーは現実逃避を~」は一理あるな、と。年を経るにつれて自分の強度も下がってきて、そういう作品を受け入れがちなのも悲しいですが。
山本監督が作品に出してくる「色」がとても好きなので、気長に公開を待とうと思います。とりあえず、1000円くらいはお金入れとくか…。