適当な日常を綴る’

明朗・潑溂・無邪気なブログ

凍りのくじら

藤子・F・不二雄を「先生」と呼び、その作品を愛する父が失踪して5年。
高校生の理帆子は、夏の図書館で「写真を撮らせてほしい」と言う1人の青年に出会う。
戸惑いつつも、他とは違う内面を見せていく理帆子。
そして同じ頃に始まった不思議な警告。皆が愛する素敵な“道具”が私たちを照らすとき――。


子供時代は周囲で自分が一番本を読んでいたはずだったのに、読書量が減ったのは、いつからだったろうか、と思い返すと、中学に入った頃なのかな、と。
単純に勉強についていくのが大変だったのと、余暇をゲームやインターネットに費やすようになったのが原因なのですが。それでも割とラノベは読んでたけど。
…なぜそんなことを考えたかというと、読書量、ひいては知識が他人より多いとの自負を理由に、理帆子のように周りを見下していた記憶があまりないから。
これって、読書趣味の思春期には結構共感を呼ぶ設定だったのだろうか?実際に成績も上位だったら、そういう感情を持つこともあるのかもしれないですね。
自分がお勉強で属する集団のトップ層にいたのって、せいぜい一桁の年齢くらいまでだし、その時でさえ勉強以外は苦手だったから、自信を持つことはあれど…。


…と、「少し・不在」*1な理帆子に若干引きながら読み進めていたのですが、同じく周りを見下している若尾と関わることで、現実の厳しさを知る展開が面白い。
多少勉強ができるくらいではどうにもならないことがあることに気づくのは思春期あるあるだと思いますが、「人間の脈絡のなさを舐めない方がいい」はそれを端的に表した表現ですね。
本を読んで何でも分かった気になっていると、思わぬ落とし穴に嵌まるかもしれない。それはそれとして、男のメンヘラはやっぱりキモいので、必要ないなと思いました。


オチはミステリというよりは、それこそ「すこし・ふしぎ」でしたね。考えてみれば、一番好きな長編ドラが『海底鬼岩城』なのに「テキオー灯」の名前が思い出せないわけないよな。
理帆子はテキオー灯で現実に適応できたけど、若尾はどうなったんだろうか…。ちょっと現実にテキオーできそうな人間ではないし。かといって他作品で再登場してほしくもないですが(

辻村深月の小説
2006年に吉川英治文学新人賞候補
写真家だった父の思い出
ドラえもんの道具が登場する


『凍りのくじら』(★4)


これも読んだだけでは2確は厳しい。やっぱり、無機質なヒントじゃなくて、主人公の名前とかでもよかった気がするな。第4ヒントとか結構クリティカルでセンスあるのに。

*1:このネーミングセンスは面白いと思う