適当な日常を綴る’

明朗・潑溂・無邪気なブログ

『結婚滅亡』―人間社会の不適合者なので趣味に極振りしたいと思います―

今月全然更新してないな…。週1のペースが「更新してない」に入るのもどうなのか、という話ですけど。
書くことがないわけではないんですが、やっぱり書くのも一定の気力がいるんですよね。疲れてはないんだけど、気乗りするかどうかはまた別の話で。



さて、夏季休暇中の旅行で、移動時間が暇になりそうだったので、本を買うことにしました。
いつもは海外純文学かSFか、というところですが、今回は趣向を変えて、非婚化社会について論じたこの本を。名前だけ見かけて気になっていたので。


タイトルこそキャッチーですが、このまま非婚化が進むと、日本は20年後に単身世帯数が核家族世帯の1.5倍になる、という話で、滅亡するわけではないらしい(当たり前)。
面白いな、と思ったのが、「このままだと生産年齢人口1人で高齢者1.3人を支えないといけなくなる」みたいなよく見る言説。筆者はこれに異議を唱える。
このまま少子化が進んで多くの高齢者が亡くなり、同時に生産年齢人口(~64歳)を超えて労働する人の割合が増加する傾向が続けば、相対的に有業者の割合が増加する、という論。
あと何十年働かないといけないんだよ、とは思いますが、非婚即非国民みたいな負い目は得に感じなくて良いのかも(別に感じてないけど)。別に結婚しても子供産まない夫婦もいるし。


この本の作者が、中島みゆきの『糸』を例に出し、「仕合せ」とは2人で行動を共にすることであり、独身で生きるとしても、家族に変わる人とのつながりを持つべきである、と書いていました。
仕事しかしてこなかった男性が退職してやることがなくなると認知症や鬱になるとか、家庭や仕事以外に居場所がないとそれが失われた時のリスクが高い、とか。
昨年亡くなった祖父も、寝たきりになっていた最後の数年以外は、郷里の県人会や、数駅先にある碁会所に参加していたのを思い出しました。
自分に当てはめて考えると、ありがたいことに、友人、職場以外にも趣味のつながりがあり、またこのブログも一種の居場所になっている。リスクヘッジとしてはまずまず悪くないのかな。


リスクヘッジといえば貯金もそうか。退職までに2000万円、みたいな話もありましたけど、あれも退職後に「夫婦2人で」「30年生きる」と仮定した場合の金額なんですよね…。
そんなに長生きできる気がしないしな、とは思いつつ、あれの内訳に医療費が入ってないのを見ると絶対プラスアルファかかるやろ、とも思うので難しいところですけど。
(強制加入の)企業年金と、個人年金くらいしか資産形成とはまともに向き合っていませんが、やっぱり、経験はお金に換えがたいものがある、という価値観が揺るがなくて。
程度問題なので自制は必要ですけど、どうせ給料は上がっていくんだし、今の1万円が10年後の1万円と等価でない以上、必要以上に貯金しようという気になれない。機会損失を考えてしまう。
就職の時に「安定」を第一に考えて選んだからこその考え方なのかもしれませんが、やはりこういう考え方も、誰かと暮らしていくには絶望的に向いてないんだろうな…。


歳を重ねていくごとに、家族が、友人が、知人が少しずつ結婚していき、それ自体はとても喜ばしいことなのですが、同時に、自分の人生についてふと考えてしまうんですよね。
当面、結婚する予定はないのですが、暇つぶしにインターネットを彷徨っていると、既婚者と独身者のマウント合戦をしばしば見かけることがあって。
自分が結婚しない(できない)のは生来の性格であったり、コミュニケーション能力の著しい不足に拠るもので、幸い、インターネットにありがちなミソジニー的思想ではない。
あの手の女性不信になっている人を見ると、「過去に嫌なことあったのかな…」と憐れんでしまう。悪意のある女性と関わらずに今まで生きてこられたのは幸運なのかな。母数がほぼないけれど。


リア充爆発しろ!」みたいな言い回しが廃れてしばらく経ちますが(まだあるのかな)、当時から、「そんなにリア充が羨ましいならお前も努力すればええやん…」とよく思っていて。
モテないから興味がなくなるのか、興味がないからモテないのか。にわとりとたまごですが、付き合いたい、結婚したい、という願望が自分にあるのかないのかは認識すべきですよね。
年をとってから実は人恋しかったのだ、と気づくパターンは最悪だと思うし、孤独に耐性があるかどうかは個人差が激しいので、動くなら早いほうが良いのではないでしょうか(他人事)。


上で『糸』について書きましたが、同じく中島みゆきの曲で、自分が好きなのが、アルバム『月-WINGS』に収録されている『1人で生まれて来たのだから』という曲。

人が1人で生まれて来ることは 1人きりで生きてゆくためなのよ
1人きりで生まれて来たのだから 1人でいるのが当たり前なのよ
2人でなければ半人前だと 責める人も世の中にはいるけれど


このフレーズが特に好きで。20年以上前の曲なのに、ソロを肯定してくれることへの安心感。
誤解のないように書いておくと、この曲はもともと二重人格の女性について歌われたものなので、決して独身男性が自分を慰める歌ではないんですけどね。それはそれとして、ね。


そんなわけで、現状、1人で生きていることについて思うところは特にないのですが、友人が変わっていくのを見るのは、変わらない自分と否応なく対比してしまうので、少し寂しい面はあって。
それを先日実感したのが、今年の春に放送されていたアニメ『かくしごと』と、大槻ケンヂ、そしてユニット「絶望少女達」がコラボしたCDを聴いた時のことでした。



これに収録されていた2曲目、「絶望少女達2020」という名義での、10年近くぶりになる新曲、『あれから』。懐かしい、と軽い気持ちで聴いた歌詞が、予想外に突き刺さりました。


www.utamap.com


親戚の子供が遊びに来て、スマホでアニメを観ている。『人として軸がぶれている』を歌って、「今はブレなくなったんでしょ?」と問われる。
「俺は成長しているか?」「大人になれたのか?」と自問自答する。まあ、読んでもらったら分かるんですけど。自分の子供じゃなくて、親戚の子供、なんだよな…。


この歌の中では、最終的に「いろいろあったけど 生きてればGood Job」だと歌う。
かつて『人として軸がぶれている』や『空想ルンバ』で社会に反抗し、『林檎もぎれビーム!』『メビウス荒野』で行き詰まった末に辿り着いた結論が、生きていればGood Job。
「丸くなったわけじゃないんだぜ」とは言うものの、色々経験した末に、良い意味で落ち着いている。かつてはオタクだった友人を見ているような気持ちになってしまった。
学生当時はオタクグループに属していたはずが、今ではみんな仕事の話とか結婚の話ばかりしている。変わらない自分は異常だったのだ、と気付かされる、何とも言えない気持ち。
このエモさ(語彙力よ)を共感してもらいたくても、当時『絶望先生』を観ていたオタクの何割にこの曲が届いたのだろうか、とも思ったり。当時のオタクは配信もされてるから聴こうな。


生きてるだけで、という考えかたにも通じるし、冒頭に挙げた本にも書かれていますが、自己肯定感を得ることが一人で生きていく上で重要なことなのかな、と。
結婚して家庭を持って、というのはその中のポピュラーな手段ではあるけれど、それだけしかないわけではないですよね。その点、自分に甘くてすぐ肯定してしまう性格なのが幸いしている。
学生時代、バイト先の店長に「お前、人生楽しんでるの?」と聞かれて「は?」と思ったけど、今なら(今でも)自信を持って言える。僕より人生楽しんでる人、世の中に何人いるんですか?と。


考えを書き留めてあとで見返す、という、このブログの第一義的な用途に則った使い方をしたため、脈絡が全く無いのですが、これも何年後かに見返せばまた思うところもあるでしょう。
もちろん、今後良い出会いがあるかもしれないし、あるに越したことはないけれど。それより、何か新しい趣味を増やせないかな?と漠然と思っているところです。アウトドア系とかどうだろう。