適当な日常を綴る’

明朗・潑溂・無邪気なブログ

対戦ゲームとしてのQMAのガラパゴス化についての私見

飽きもせずプレーしているクイズマジックアカデミー。明日で今作『輝望の刻』が終了し、新作『夢幻の鏡界』が稼働開始しますね。
自身、土曜しかゲーセンに行かないのに言うのもアレですが、今作はコロナ禍で大会もほとんど開催されず、知り合いを含めてかなりのプレイヤーが離れてしまって寂しい限りです。


…さて、昨秋から継続的にプレーを続けている中で、少しずつ総合力はついてきたかなあ、と自己評価しています。ちょっとプレーの方針というか、予習の配分を変えたんですよね。
もっと早くこのスタイルに変えていればよかったかなー、と思ったところで、常日頃からうっすらと感じていたQMAという対戦ゲームの特徴について書いていこうかと思い立ちました。


自分がQMAの大会*1に初めて参加し、「このゲームでもっと強くなりたい」と思ったのは、2013年の『賢者の扉』の頃。実に8年も前のことになります。
所謂最上位層の次に位置するレベルになりたい、というのを大体の目安にしてきましたが、自分より一段上の層のプレー頻度が落ちた結果、図らずもその立ち位置の背中が見えてきた感があり。
…で、実際にその立場が狙える位置になってみて思うのですが、自分より上、もしくは同レベル帯のプレイヤーを思い浮かべてみても、自分より大会歴が浅い人は、自分が知る限りいない。
言い換えれば、最上位層・準最上位層では自分が一番の「新参」ではないか?と。8年もクイズ漬けで?という話ですが、自分と同時期以降に大会文化に触れた同レベル帯の人が思いつかない。
つまり、それだけ大会に新参が入ってきづらい、そして後発が古参に追いつきづらいゲームだ、と言えるのではないかと思うんです。それはどうしてなんだろうか?ということを考えていました。


自分は長らく「上位層に追いつけないのは、プレー歴に差があるからだ」と思っていました。無論、それは正しくて、長くプレーしているほど知識の蓄積があるから強いんですよね。
ある日ふと、それだけではないのでは?と思い至った。「8年前からクイズの問題を撮影・暗記しているなら、『賢者の扉』当時にプレー歴8年のトップ層くらい強くなっているはずでは?」と。
『賢者の扉』の8年前というと、『QMA2』とか『QMA3』。そして、当時を思い返しても、その頃のトップ層は、今の自分より明らかに強い。つまり、プレー歴の差「だけ」ではない。
結局、「自分が同レベル帯の中では比較的後発である」という言い訳で目が曇り、上位層を勝手に神格化するあまり、「プレーの内容が悪いから強くなれない」という事実に気付けなかった
憧れは理解から最も遠い感情」とはよく言ったもので、強くなるには上級者の模倣が定石なのに、「自分とは素養が違う」と決めつけてしまった。これ、意外に根の深い問題だと思います。


昔から親しくしてくれている人には今更ですが、QMAに本腰を入れる前は、『ポケモン』、『ポケットモンスター』シリーズの対戦に本気で取り組んでいました。中学~大学辺りまでかな。
対戦ゲーム・eスポーツとしての『ポケモン』が抱えている問題は『QMA』に通じるところもあるのですが、その話は本題ではないので省略するとして。
現在、前線から離れて『ポケモン』の対戦界隈を見た時に、『QMA』とは随分違った、オープンなゲームだな、と感じるんですよね。新参が強くなりやすく、プレイヤーの新陳代謝が早い。
上位層のプレーは動画サイトですぐ観られるし、配信している上級者も多い。レートの集計期間が終わると、プレイヤーがこぞって構築や立ち回りを書いた記事を投稿し、SNS等で共有する。
更には、そのパーティをダウンロードしてコピーし、実際に使ってみることまでできるわけで。便利な時代になったものです。たまにそれをコピーしてレート戦やるだけで楽しめるし。


でも、自分が主に『ポケモン』をプレーしていた時代は、決してそうではありませんでした。なにしろ、まだオンライン対戦の文化も発達していなかった時代。
ネット掲示板で知り合ったプレイヤー同士が参加する対戦オフ会に参加し、そこで上位層の構築・配分を真似てアレンジの繰り返し。今以上に敷居の高い対戦ゲームだったと思います。


…そして、こと『QMA』においては、一見、格差は埋まってきたように見えて、その実「上級者の模倣」は今もしづらい、ブラックボックスなゲームだ、というのが自分の実感です。
これがポケモン格闘ゲームやその他の対戦ゲームとの違いであり、ガラパゴス化の一つの特徴なのかな、という実感が、今回の記事のタイトルになっています。
ざっくり、総合正解率を1の位で四捨五入して90になるプレイヤー、多分今は全国に20人とかくらい?なのかと思うんですが*2、その人達が普段どうプレーしてるか、って謎なんですよね。
知る限り、そもそもSNSをやっていないか、QMAに関する発信はほぼ行わない、という人が殆ど。後発の自分からすると「何か得体が知れないけど強い人たち」という印象にしかならない。
上位層が参考にできなければ我流でやるしかないですが、それでトップ層になれるかどうかは、上位層がずっと変わってないことから明らかで、まあ厳しいですよね。


nlab.itmedia.co.jp


これ、今更昨日TLに流れてきてたのでなんとなく読んでみたのですが、割と共感できる記事で。

梅原 例えば、新しいゲームが出たときは課題がいっぱいあるので誰でも楽しいんですよ。
でも、課題をはっきり認識できているうちは良いんですが、途中から課題が何なのか分からなくなってくる。
そうなると何を練習すれば良いのか、何が欠けているのか分からなくなっていって、「つまらない」と感じてしまう。それは多分、ゲームでもなんでも同じことが言えると思います。


『QMA』もこの例にもれず、問題を覚えて、正解率が上がっていく過程は、基本的に誰でも楽しめると思うんですよ。
ただ、遅かれ早かれその右肩上がりは必ず一旦止まる。そうなった時に、まず大抵の人は辞めてしまうし、自分のようにそのまま続けていても、伸び幅は微々たるものになってしまう。
そういう時に、「プレーの内容をこう修正すべき」という指標となる上級者がいれば良いのですが、後発組にとっては、よほどコネがあるか都市部在住でもない限り期待できないでしょう。
過去の自分みたいに「もっとプレー時間を増やさないと」みたいな物量で乗り切ろうとしてしまう人もいるでしょうけど、おそらく、その先に待っているのは燃え尽きでしょうね。経験談です。
基本的には暗記ゲーという大前提があるがゆえに、今のやり方の延長上に成長した自分がいる、みたいに考えがちだと思うのですが、それが錯覚だと気付くのに長い時間をかけてしまった。


…さて、別に「トップ層はもっと新規プレイヤーとこのゲームの未来を考えろ」みたいなことが言いたいわけでは全然なく(笑)、これは今まで自分が遠回りしていたことへの反省文なのですが。
好きで長く遊んでいるからこそトップ層にいるはずの人達が、揃いも揃って発信しないという文化(?)は不思議だけど、ゲームの性質というか、構造上の問題でもあるので言っても詮無いこと。
自分もここまで書いておいて、今の実力では中途半端で恥ずかしいから、プレー内容を詳細に語るつもりはないし。さて、上の記事で、他にも共感できるところがあったので引用します。

梅原 今は「過去と比較して、どういうところがうまくなったんだろう」というところだけを見て練習している気がしますね。
マチュアの時は好きでやってるから物量をこなせばうまくなれたし、プロ1年目のころは更にそこから熱量を増やしてプレイしている感覚だったんですが、
今は成長を感じられないことはやらない。だから、ゲームする時間は何分の一かにはなっていますが練習の質は上がっています。
昔の方が熱量はありましたが、その分取り組みも雑で甘かった。今はその熱はなくなりましたけど、上達することに対するシビアさは過去と比べても雲泥の差です。


自分はプロゲーマーでもないし真剣さも段違いですが、この1年で一番変わったのはこういう意識。皮肉にも、プレー環境が悪くなったことで、質の向上に意識を向けるようになりました。
昔と違い、問題追加・入れ替えのペースが段違いに早まっている今の環境で、1問でも多く正解するには、限られたプレー時間をどのように配分すればいいのか?を考えること。
これは「大会で勝つこと」とは必ずしもイコールにならない。大会で勝つためには人気形式を対策する等の、所謂メタゲーム要素が絡んできますが、そこへの意識は今年一切捨てました。
その代わり、「今の課題が何か」を常に考えるように習慣付けたり、定期的に正解率の増減を見て方針を都度修正したり。一番はモチベを維持するために「無理をしない」ことですが。


そもそも、自分は「クイズが好き」というか、ちょっとしたことを知るのが好きだから続けている、というのが根本的なモチベーションになっています。
日常の何気ないシーンで、クイズを通して得た知識と再び出会った時のちょっとした感動。クイズがきっかけで知った名所、本、作品、食べ物、音楽は数え切れない。
大会を通して出会った人との関わりも勿論ですが、そういう知識が自分の人生をより豊かに、楽しくしてくれている。その実感があるからこそ辞められない。…話が大きくなってしまった。
だから、できれば続けたい→でも、成長している実感がないとモチベーションが続かない→では、成長するにはどうすれば?というのが、今回プレースタイルを見直すきっかけになりました。
大会から離れたからこそ気付けたことだと思うので、その点ではこの情勢も悪いもんではなかったな、と。対戦での勝ち負けは二の次で、結果が後からついてくるのが理想なんですよね。
だからこそ、大会がなくなったことそれ自体はモチベーションに大きな影響を与えなかったし、極論、QMAが来年でなくなってもそれはそれで、と思えるくらいには依存度も下がったと思う。


長々と書いてしまいましたが、自分としては、一線から退いてしまった知人にも復帰してほしいし、今もっと強くなりたいと思っている、かつての自分みたいなプレイヤーも応援したい。
そういう人達が何かの拍子にこの記事を読んで、何かヒントになればいいな、という思いもあり、反省を兼ねて残しておくことにします。明日は例年通り『輝望の刻』の総括記事を書く予定です。

*1:正解率制限大会でしたが

*2:適当なのでもっと多いかもしれないけど,、(準)トップ層くらいの意味合いです