ビリー・ハーロックは、伝説のコメディアンであるロスコー・アーバックルの映画をリバイバル上映してもらおうと奔走している。
だが、人々にとってサイレント・コメディーはもはや過去の遺物。ビリーは、配給会社に勤めるデニーを説得すべく、熱い眼差しで当時の思い出を語り出す。
それは1920年のハリウッド。ビリーが助監督として入社した “喜劇の神様” マック・セネットの撮影所での出来事だ。
ある夜、編集室でフィルムの山と格闘中のビリーの前に、ふらりと現れた女優のメーベル・ノーマンド。どこか様子がおかしい彼女にセネットが慌てふためいていて…。
その日、ビリーは初恋の人であるアリス・ターナーの夢を見る。アリスとの恋は、ビリーの青春に欠かせない1ページだった。
サイレント映画の伴奏ピアニストである彼女と過ごしたまぶしい日々。
一方、とあるホテルでは、アーバックルがパーティーの準備をしていた。
芽の出ない女優のヴァージニア・ラップは、なんとかキャリアをこじあけようとフロントでアーバックルに声を掛ける。それが運命を大きく変える引き金だった。
1939年。街を歩きながら、まるで昨日のことのように語るビリーの話を聞くうちに、デニーは少しずつビリーの思い出とサイレント映画に興味を抱き始めていた――。
2022年初イベント参加。年が明けてからは働いて寝るだけの無味乾燥ライフだったので、昨日までで今年趣味に使った金額が0円。固定費と食費だけの人生と化していた。
最近感染が再拡大していたのでこれはヤバいかな?と思ったのですが、無事開催されることになって一安心。博多まで出たのは夏休み以来だから半年ぶりかな?
よかよかきっぷが当日購入不可になってしまったので、e5489を経由する必要があって面倒になりましたね。久しぶりすぎて忘れてたけど、高速バス使う選択肢もあったな…。
12時からの公演だったので、早めにお昼を食べておこうと、思考停止で天神のひらおへ。博多行くときの昼食、アクセスとコスパが最強なひらおになりがち。
この塩辛くないイカの塩辛だけで無限に白飯が食べられる。いろどり定食に1品足すくらいが丁度良いですね。今日はモッツァレラチーズ足したけど、100円でも十分美味い。
しかし、ささみってこんなデカかったっけ?あまりの大きさに写真撮ってしまったけど、早く食べないと冷めるだろって怒られそう。どうせ揚げたてで熱いから時間かけて食べたんですが。
食べ終わってからはそのまま中洲方面に歩いて博多座に到着。中洲川端駅直結なのは強いなあ。悪天候時にもそのまま行けるし。
パンフレットを買って始まるまで読み、あらすじを予習。6~7列目の右ブロックだったかな。まあまあ観やすい席でした。思ったより席が埋まってましたね。
サイレント映画、邦画で小津作品を少し観たことがあるくらいで、洋画は全く観たことがなかったのですが、当時はこんなに役者が体を張ってたんですね。
マック・セネットの言う通り、声が聞こえないんだからその分リアクションで観客に伝えなければならない。こんなに過酷な仕事だったとは知らなかった。
当時公開された実際のサイレント映画の場面をスクリーンに映す演出が非常に興味深い。一歩間違えたら大怪我か死亡事故だろ、みたいな撮影が横行していることに驚き。
1913年、1920年当時の出来事を、1939年に中年となったビリーが回想する、という体になっているため、最初だけやや混乱しましたが、この回想が場面転換としてなかなか良かった。
実話を元にしたストーリーで、大半のメインキャラは実在人物なだけに、暗い展開が続く場面もありましたが、そこを上手くビリーとデニーが明るくしてくれる、といった具合。
観ていて思ったのは、芸事に関わる人というのは、今も昔も多かれ少なかれ「狂気」を孕んでいるのかな、ということ。作中の「事件」が史実だけになおさら。
アーバックルの「観客を笑わせることさえできれば、死んでも構わない」というような台詞が象徴的ですが、芸のために命を賭けた人間から感じる情念の強さが伝わってきました。
キャストも中々印象的で、まずヒロインを演じていた桜井さんは感情がコロコロ変わる思春期のアリスと、成長した大人のアリスの演じ分けが見事。笑い方が独特で記憶に残ったなあ。
マック・セネットを演じていたマギーさんも、パンフレットで「小物感が出てしまう」とか書いてて笑ったけど、仰る通りどこか憎めないキャラクターが素敵でした。声も良いし。
メーベル役の壮一帆さんは、役どころも本人も大女優、って感じで、オーラが出てましたね。というか、だからこそのキャスティングなんだろうけど。説得力が違った。
そしてロスコー役の金田さん。アーバックルがあのキャラになったのは、金田さんが演じたからこそでしょう。人を傷つけないタイプの暖かい笑いが心地良く、掛け合いのシーンは最高でした。
…オタクが書いているブログなので黒沢さんのことも書いておくと、前半の必死に自分を売り込もうとする演技も良かったんですが、死亡して以降の声を出さない演技の方が印象に残りました。
『ゆゆゆ』で樹が声を失った時の演技と、その演技論について当時黒沢さんが記したブログ記事に感銘を受けたのを思い出しました。舞台はそれこそ声だけが演技ではないから性質が違うけど。
最後にヴァージニア・ラップが何を言おうとしていたのか気になるけど、「人の考えていることなんて分からない」という劇中の台詞の通り、分からないままのほうがいいこともあるのかも。
そんな感じで、もちろん笑えるところもあったのですが、どちらかというと当時のハリウッドについて知りたくなる、知的好奇心を刺激される作品でした。
配信サイトとかに少しでも残ってるなら、サイレント作品を観てみるのもいいかもしれないですね。劇中で流れたムービーだけ観ても、トーキーとの性質の違いが分かって面白かったですし。
終演後は博多駅まで戻って、1クレだけヨドバシのタイステでQMA協力プレー。ノンラン予習も協力も8割くらいは答えられたから、最低限の維持はできている、ということにしておこう。
折角だから晩に博多ラーメンとか食べて帰ってもよかったけど、時間も早かったし電車の接続も微妙だったので早めに帰宅。今年初めての有意義な休日でした。心の栄養、摂取していかねば。