適当な日常を綴る’

明朗・潑溂・無邪気なブログ

「居場所がない」人たち

居場所がなくても幸福と思える生き方とは?
2040年には、独身者が5割に。だれも見たことのない、超ソロ社会が到来する。
ますます個人化が進む中、私たちは家族や職場、地域以外に、誰と、どこで、どうつながれば、幸福度を高められるのか? 
また、親として、人生の先輩として、これからその時代を生きる子どもたちに何を伝えられるのか?
家族、学校、友人、職場、地域・・・・安心できる所属先としての「居場所」は、年齢を重ねるごとにつくるのが難しくなり、時に私たちは「居場所がない」と嘆く。
また「そこだけは安心」という信念が強すぎるがゆえに、固執し、依存するという弊害も生まれる。
では、居場所がなく、家族や友達をもたず、一緒に食事をする相手がいないのは、「悪」なのだろうか?常に誰かと一緒でなければしあわせではないのだろうか?
社会の個人化も、人口減少も、もはや誰にも止められない。私たちに必要なのは、その環境に適応する思考と行動だ。
著者が独身研究を深掘りした先に示すその答え=〔接続する〕関係性、〔出場所〕という概念とは?
結婚していてもしていなくても、家族がいてもいなくても、幸福度を上げるための視点とヒントに満ちた一冊。


先月、誕生日に書いたブログに貼ったほしいものリストから、友人が贈ってくれました。ありがとうございます。
結婚願望がないわけではないものの、所謂「婚活」はしておらず、独身で生きていく可能性がそれなりにあると思っているので、この人の著作はここ数年追っているところです。


前半は今までの本の主張と被るところも多く、再確認しながら読み進めていきました。
自分が幸福か不幸か、というアンケート調査が特に印象的で、曰く、世代の中で一番不幸だと感じているのは、40~50代の未婚男性であると。
更に面白いのが、幸福だと感じている未婚男性の数は世代を追うごとに減少していくのに対し、不幸だと感じている未婚男性の数は世代であまり変わらない。
ここから筆者は、「幸福だと感じている未婚男性は結婚していくが、不幸だと感じている未婚男性は結婚できないまま年を重ねていく」という推論を導き出していると。

身も蓋もないいい方をすれば、「結婚したらしあわせになれる」と思っている人は、結婚もできないし、しあわせにもなれないのだろう。

この一文が殺傷力高すぎて笑いましたが、裏を返せば、結婚するしないに関わらず、幸福だと感じながら生きていくことが大事なのではないかと。ひいては、良い出会いを引き寄せるかも。


その点、自分は普通の人より、「幸福」を感じる閾値が低い、幸福に関して馬鹿舌な人間なのではないかと自己評価しているので、ちょっと安心かもしれない、と。
仕事以外の知り合いもいない田舎に赴任してもう4年半になり、普通なら病むかもしれないところ、それなりに公私とも安定し、日々楽しく過ごせているかな。ちょっと今年は怠惰気味ですが。
ここ数日でも、例えば物価高でずっと1房3本でしか売っていなかった朝食用のバナナが、1房5本で買えただけでかなり幸福を感じたし。というか、不幸への鈍感力が高いとも言えるのかも。
これからも、脳死せずに日々に幸せを感じながら、良縁が巡ってくるように過ごしていきたいですね。…でも、このまま40、50代になったら流石に考え方が変わるのかな…。


さて、以前のこの人の著作で気になっていたのは「家族や職場以外のコミュニティを増やす」みたいな最終的な解決策が抽象的だと感じた点。結局、独身男性はどうすれば?というところですね。
ここに一歩踏み込んだことが書いてあったので、そこは読んでよかったな、と。家を出て、映画館で映画を観たり、ライブに参加したりと行動すること自体が、前向きであり、刺激になると。
更に、それを体験しただけで終わらせるのではなく、人に会って話をしたり、書いたりしてアウトプットをするべきだと。まさに、自分が20年近く続けているこのブログそのものですよね。
要は、家に閉じこもって配信を視聴するだけ、みたいな受動的な趣味でかつ孤独だと、病んでいく可能性が高いのではないだろうか。この辺は意識して、積極的に活動していきたい。


そんなわけで、比較的自分は孤独に耐性があると思うし、これからどう生きるにせよ、気の持ちようでしばらくはなんとかなるかも、と感じたかな。
同時に、SNS付き合いをほぼ絶っている今でも連絡を取っている友人知人は大切にしていかなければ、とも思いました。そして、良い精神状態でいることが、正のサイクルを回す条件になるはず。