映画感想
セリフに頼らず、目で伝えるシーンが随所にあるんですよね。
1人の女性の半生を振り返る、という作劇の中に、「70年代からの台湾史を振り返る」というテーマが内包されており、これがなかなかに重い。
如何様にも考察できそうな深みがありつつ、エッセンスは割と分かりやすい。
密室殺人の謎を解く、という作品そのものは結構楽しめたけど、動機に時代性があって、現代の価値観だと拗らせてるようにしか見えなかったな。
「何がやりたいか」はすごく分かりやすいし、メッセージ性は強かったんですが、ストーリーそのものの面白さがあってこそだよね、という。
一見ハッピーエンドっぽく終わりますけど、多分また同じようなことを繰り返すんだろうな、と予感させるようでもあり。
大泉洋のあて書きというだけあってピタリとハマっていて、物腰柔らかく、飄々とした真意の読めなさが不気味。
コミュニケーションの手段や承認欲求のために創作物を”消費”している人でなく、創作物と向き合うのが好きな人は楽しめるはず。
言葉で語ることなく、シチュエーションで魅せるのがとても良いですね。最近の説明過多なフィクションに慣れているから尚更。
顔面偏差値と最後ベタに友情の大切さでまとめたのはいいかな、と思いますが、少女漫画原作の実写はもっと爽快感が欲しいな、というのが正直なところなので今ひとつかな。
まず相手を信じねば、相手も信じてくれない。簡単なようで難しいテーマでしたね。
シンジの手に世界が委ねられる、という意味で、間違いなくセカイ系の系譜なのに、不思議と独りよがりに見えない。
描かれているのは決して「終わらない日常」ではなく、色々のものが変わっていくからこそ、愛おしく思う「今」。
現在のモラルで考えたらアレだけど、コメディとしても人情話としても高レベルで、これを25歳で監督したとはとても信じられない。マジで天才だったんだな…。
オープニングの首吊りがラストの心中につながっていく構成といい、タイトルになっている紙風船が印象的に二度使われる様子といい、これを20代で撮ったのは確かに天才ですね。
障碍者の気持ちなんて土台理解し得ないわけで(そもそも幼少時から足が不自由だったなら尚更)、それでも、どのようにジョゼと関わっていくか、が問題ではないのか。
純粋に親子の絆の尊さを描いているということなんでしょうけど、特に「親になるということは、自分より大切なものができるってことなんだ」という帰結は独身趣味人には辛かった。
佐藤二朗は完全にいつもの佐藤二朗で安心しました。もはや福田雄一作品を観る目的の一つになっている。
おそらく、大林監督は少女というものへの憧れみたいなものがあって、それをフィルムに収めているのかな、と何作か観てきて思ったのですが、今作はその極致でしたね。
かつての若いヤクザ達が出世して年をとった結果、昔を知らない若衆たちに突き上げをくらうのは寂しいですね。江田とか、結構しぶとく生きてたのになあ。
ド直球の青春物語なのですが、そこがとても良い。こういうのでいいんだよ、と言いたくなるような青春ムービー。
山守が逮捕されたり、大友勝利が年をとって爺さんになってたりするのが時代の流れを感じるし、こういう無常感もやっぱり三国志演義チックだよなあ、と。
自分も大概好き放題に楽しく生きている身ですが、もし、今後親を喪ってからこの映画を観たら…いや、辛くて観られないかもしれないな…。
前作の『広島死闘篇』とはまた毛色が変わって、ヤクザ同志の思惑渦巻く戦いの様子が存分に描写されていてとても面白かったです。
学生時代には「無限の可能性」があったわけで、それと現在を比べたら、もちろん叶わなかったことは多い。あまりこういう主題が刺さってしまうと加齢を感じて悲しいけど(
障害を持つ女の子との恋愛、という無意識のバイアスで作品を観てしまっていたれけど、実際は大学生の若気の至りとも言うべき、普通の恋愛模様でしかなかった。面白い構成だと思いました。
村岡組の組員となった山中と、村岡の姪である靖子との身分違い(?)の悲恋がメインになっており、さながらヤクザ版『ロミオとジュリエット』でしたね。
制作陣がヒット作をよく研究していることは伝わってくるのですが、それ故に予想を越えてこない(作画は本当にすごかったけど)と感じてしまいました。
母と三女がどこの家でも疎まれる…という筋書き、あの『東京物語』と似てますね。ある意味、原型といえる作品なのかもしれません。
「土曜日の実験室ー!」のところとか、特撮がやたらチープなのは多分狙ってのことなんだろうけど、主役の2人の素朴な演技(オブラート)も手伝って、作品全体から純朴さを感じました。